サライ11/16日号より転載
晩年の次郎と正子は、折を見ては連れ立って信州、諏訪湖半に赴いた。宿泊先は、下諏訪温泉の旅館『みなとや』。昭和50年に正子が仕事関係で訪れ、主人夫妻の飾り気のない人柄に触れてすっかり気に入り、以降、夫婦で繰り返し訪れることになったのだ。
女将の小口芳子さん(72歳)はこう語る。
「正子さんは専用のシーツを持参し、置いていらっしゃいました。欧米流の、袋状の中に体をすっぽり入れる形のものでした」
交流は、単なる旅館と顧客との関係には止まらなかった。小口夫妻も、次郎と正子の人間的魅力に惹かれ、毎月のように鶴川村の武相荘(ぶあいそう)や、軽井沢の別荘を訪問することになった。主人の小口惣三郎さん(72歳)は言う。
「次郎さんが蕎麦が好きになったのも、うちがお土産に持っていったのがきっかけだと、後で聞きました。それまでは"あんなもの人間の食うもんじゃない"という言いぐさだったのが、いつからか私たちが訪ねると、まず第一声に"おい、蕎麦は持ってきたか"と仰るようになって・・・」
みなとやには、今でも次郎さんが自ら作ってプレゼントした竹製の靴べらが、大切に保管されている。